出処進退でわかる人の真価
Release: 2022/07/19 Update: 2022/07/19
出処進退でわかる人の真価
すべて物事は、平生無事の際には、ホンモノとニセモノも、偉いのも偉くないのも、さほど際立って分からぬものです。ちょうどそれは、安普請の借家も本づくりの住居も、平生はそれほど違うとも見えませんが、ひとたび地震が揺れるとか、あるいは大風でも吹いたが最期、そこに歴然として、よきはよく悪しきはあしく、それぞれの正味が現れるのです。同様にわれわれ人間も、平生それほど違うと思われなくても、いざ出処進退の問題となると、平生見えなかったその人の真価が、まったくむき出しになってくるのです。【430】
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常、日ごろの行いが大事ということですね。
人に見られている時だけとか、何か理由があって行う行為はホンモノにならないというのはそうでしょう。
「説法100日、屁一つ」ということわざは知りませんでした。
日々の積み重ねも引き際の悪さで台なしになるという場合はあるかもしれません。
引き際を見苦しくなく過ごすためには常に実践することが大事です。
勇気が必要だと感じました。
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