思いやりの源
Release: 2022/10/17 Update: 2022/10/17
思いやりの源
目下の人に対する思いやりというのは、まず自分自身が、目上の人に対してよく仕えるところから生まれてくると思うのです。【221】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
日頃からこの思いやり、「仁」ということは問題になる部分です。
思いやりのある指導というものはいかなることかと考えてしまいます。
将来のその人のことを思えば厳しいこともまた思いやりのような気もしますし、そうでない気もします。
結局は相手の気持ちをどう揺り動かすのかということにもなるんでしょうね。
適度な距離感を感じさせながら目的や目標を設定させるようなことが大事なことなんでしょう。
これを毎日行うのがマネジメントというものなのでしょうか。
しっかり思いやりをもって過ごします。
関連コンテンツ
人生の意義②力を出し切る 自分が天からうけた力の一切を、生涯かけて出し切るところに、初めて、小は小なりに、大は大なりに、国家社会のお役にも立ち得るわけで、人生の意義といっても、結局はこの外にはないと言…
凝り性と意地 凝り性というのと意地というのとでは、必ずしも同じものとは言えない。それというのも凝り性というものは、自分の勉強なりその他何でも、自分の仕事に打込むことであるのに対して、意地という方は、そ…
現代の人々は、自分が人身を与えられたことに対して、深い感謝の念を持つ人ははなはだ少ないようであります。仏教には「人身うけがたし」というような言葉が昔からいわれているのです。つまり昔の人たちは、自分が人…
不幸の中にある教訓 不幸というものは、なるほど自分も不幸と感じ、人もまたそれを気の毒、哀れと同情する以上、一応たしかに不幸であり、損失であるには違いないでしょう。しかしながら、同時にまたよく考えてみれ…
心にすが入らぬように 諸君らが今日忙しさに口実を求めて、何ら自発的な読書をしないということは、すでに諸君らの心にすが入りかけている何よりの証拠です。【65】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿…