死に際は修養の結晶
Release: 2022/11/29 Update: 2022/11/29
死に際は修養の結晶
人間も死に際が悪いと、その人の一生を台なしにしますが、しかし死に際のいかんは、その人の生涯を貫く心の修養の結晶であり、その結実と言ってよいでしょう。それ故お互い人間は、平素から常に最後の場合の覚悟を固めて置かねばならぬと思うのです。【430】
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出処進退。終わりが悪ければすべてが水の泡ということですね。
この締めくくりをどうするかということは実際大きな問題でもあります。
コロナの影響で様々なものが尻切れのような状態で終わりが悪いような感じもします。
先生などの場合、生徒だけでなく寂しい終わり方をした方もたくさんいるのではないかと思います。
何かの要職などもそうです。
自分の問題でなくそうなる場合もあるのですから、普段の行動しか評価の対象になりにくいですね。
思い出してももらえないようでは残念です。
いつでも次はないと思いながら大切に過ごすことを思い出さないといけません。
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