肉体が滅びても
Release: 2023/01/16 Update: 2023/01/16
肉体が滅びても
一人の偉大な教師の存在によって、二十年、三十年、否、時には四、五十年の後に、その地方が根本から立ち直って、そこに新たなる民風が起こるというのでなければならぬでしょう。その時、その種子をまき、苗を育てた教育者の肉体は、すでにこの地上にはないでしょう。しかもその精神は、脈々としてその地方の中心人物たちの心の底深く根を下ろして、その地方の改革の根本動力として働くのであります。【124】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
そのような先生は今の時代にどれくらいいるのでしょう。
宝くじほどの確立かもしれませんね。
しかし、求めていけばそういう人もいるかもしれません。
なかなか自分の子供が小さいうちに修身教授録にも出会えなかったのでそこまで教育というもを深くは考えませんでしたが、れから先のことを思うと少しでもこういう先生が増えることを願うばかりです。
評判のいい先生が学校から離れた人の耳にも届くようになればいいですね。
様々な働き方があると思いますが人を教えるということはなくならないものです。
先生や教育者ばかりのせいにはせず、家庭教育、職場教育で少しでも意識しようと思います。
関連コンテンツ
自修の人 とにかく人間は、「自己を磨くのは自己以外にない」ということを、改めて深く覚悟しなければならぬと思います。すなわち、われわれの日々の生活は、この「自分」という、一生に唯一つの彫刻を刻みつつある…
下座を行ずる② 世間がその人の真価を認めず、よってその位置がその人の真価よりはるかに低くても、それをもって、かえって自己を磨く最適の場所と心得て、不平不満の色を人に示さず、わが仕事に精進するのでありま…
すべて人間というものは、自分の運命を自覚することによって、初めて真に人生をスタートすると言ってよいでしょう。そこでわたくしたちは、将来自分が通らねばならぬ人生の筋道が、大たいどのよなものかという点に…
われわれが気品のある人間になるためには、何よりもまず根本のこころの曇りを拭うようにしなければならぬと申したわけですが、しかしさらに大切なことは、慎独、すなわち、人間がただ一人でいる場合にも、深く己れ…
真の偉人というものは、何も叱ったりなどしなくとも、人が自ら服するものであります。実際偉大な先生の、その弟子に対する深い思いやりとか慈悲心が、しだいに相手に分かりかけてくれば、叱るなどということは、まっ…