躾者の資格 52
「我」のとれていないような人間が小言を言ったら、それだけでマイナスになる。
#運命を創る100の金言 #森信三
我を感じることが大切だと思います。通常は意識しないことです。
我がないというのも問題かもしれませんが、如何に客観的な視点を身に付けて自分を感じることができるのかということですね。
自己主張ということも大事こともありますが小言となるとそれは問題が多い。そもそも小言が出るというのは我が強い証拠のようなものです。
心のどこかでそういう自分が潜んでいることに気づく能力が大切なのでしょうね。
今日は下座行でした。
1.足元のゴミを拾う
2.乱れたは履物を揃える
3.近隣の雑草を抜く
4.空き缶を分別しておく
5.トイレ掃除にすすんで参加する。
このようなことを行うことが下座行ということです。
基本は大切にしなければなりませんね。
こういうことでも我がとれていくと思います。
すべえのもの物事には、基礎とか土台というものが必要です。(中略)そこでわれわれ人間も、どうしても真実を積まねばならぬわけですが、しかし事を積むには、まず土台から築いてかからねばなりません。では人間を鍛えていく土台は、一体どういうものかというに、私はそれは「下座行」というものではないかと思うのです。すなわち下座行を積んだ人でなければ、人間のほんとうの確かさの保証はできないと思うのです。たとえその人が、いかに才知才能に優れた人であっても、(中略)下座を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危なっかさの付きまとうのを、免れないと思うのです。
下座を積み、我を抑えることが大事になってきます。
今日も一日がんばります。