大学の道 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた
ここで孔子が「吾十有五にして学に志す」と言われたこの「学」というのは、普通にいわゆる勉強を始めたとか、ないしは書物を教わりだしたなどという程度のことではないようです。それというのも、ここに「志学」と言われたのは、いわゆる大学の道を志されたということであって、孔子は十五歳にして、すでに大学の道を志されたのであります。
ではそのいわゆる大学の道とは、一体いかなるものを言うのでしょうか。これは、諸君らもすでに一応は心得ていられるように、わが身を修めることを中心としつつ、ついには天下国家をも治めるに至る人間の歩みについていうのです。してみると孔子はすでに十五歳の若さで、ご自身の一生を見通して、修養の第一歩を踏み出されたわけであります。
修身教授録
人生の中でいろいろな決心というのはあると思います。
誰しもが何かしらの決心をする。
しかし、生きる道を決心するというのは並大抵なものではないような気がします。
私は修身教授録を読んでから、夢という言葉に反応するようになってしまってます。
何かちょっと緩い気がしてしまう。
志というような言葉に惹かれてしまう。
ちょっと片寄った思想になってるんでしょうね。
いい年齢なんですから自分の生き方を確立したいもんです。
本日の森信三一日一言は
仕事は一気呵成にやりぬくに限る。もし一度には仕上がらす、どうしても一度中断せねばならぬ場合には、半ばを越えて六割辺程度までこぎつけておくこと―これが仕事をやりぬく秘訣である。
森信三一日一言
自分の頭はそんなにたくさんのことを処理できない頭です。
一つを六割程度までやる。
そこを徹底的に守ることが大切なのでしょうね。
一度手を付けるとあとが楽。
言い訳ばかりの脳みそになっていないか注意していこうと思います。
重松 髜修 (しげまつ まさなお)
朝鮮で聖者と慕われた日本人 【朝鮮の農民を豊かにしたいという熱い思いを抱いて、朝鮮に渡った重松髜修は、敵意と恨みのこもった銃弾を受けながらも、初心を忘れなかった。貧しい朝鮮農民の目線に立ち、常に彼らを理解しようと心がけたがゆえに、朝鮮の人々の多くが日本人を敵視する中、重松は聖者のように慕われた】
当時の朝鮮の実情を知る。
貧困の問題を考えてしまいますね。やはり経済的には多少なりとも豊かにならないといけませんね。
杉原 千畝 (すぎはら ちうね)
ユダヤ難民六千人に命のビザ 【外交官・杉原千畝は、ヒトラーに追われたユダヤ人難民六千人を救出した。外務省の指示を無視しての行動で、彼は外務省を辞任せざるを得なくなる。しかし、イスラエルは恩を忘れなかった。勲章を授与し、顕彰碑を建て、彼の勇気ある行為を後世に伝えようとした】
正しいことは何なのか。やはり人として正しいことをすることが重要だと感じます。
李 方子 (り まさこ)
韓国を祖国として福祉活動 【日本の皇族から韓国の皇太子に嫁いだ日本女性がいた。日韓の不幸な関係を象徴するかのような辛い人生を立派に生き抜いた李方子。数奇な運命に翻弄されながらも、夫への愛と献身を貫いた。晩年は韓国を祖国として、不幸な子供達のために福祉活動に専念。今、韓国の土に眠る】
何かでも見たことがあるかもしれません。辛い人生を歩みながらも懸命に生きた人だと感じた。
田内 千鶴子 (たうち ちづこ) 韓国人孤児三千人の母 【孤児救済に取り組む韓国人男性に嫁いだ田内千鶴子は、終戦、韓国動乱と時代の荒波に翻弄されながらも、過酷な運命に押し潰されることなく、孤児たちを守り抜いた。あまりの辛さに投げ出したくなるような時、彼女の支えとなったのは、彼女が骨身を惜しまず世話した孤児たちだった】
福祉というのは本来このようなものだと思う。
この伝記は端的にまとめられているので要約するのは非常に難しいと感じます。
しかし、このような偉大な人の功績を感じられるのは有難い限りです。
本日はここまでです。
ありがとうございます。