第十一夜 畜道は天然自然の道

動物の生き方を畜道と読んで人はこれを賤しく思っているが、実はこれは天理自然の道なんだ。
これに対し、人が尊ぶ人道は天理にしたがうように見えても、人間のために人がつくった道なんだだから畜道とは違って自然のままではないんだよ。
たとえば動物は雨にぬれ、日に照らされ、風に吹かれて、春には青草を食べ、秋には木の実を食べて、食べるものがあるうちは飽きるまで食べ、なければ仕方なしに食べないでいる。だからこれを自然の道といわないで何と言おう。
ところが人間は、家をつくって風雨をしのいだり、倉をつくって米や粟を蓄え、衣服をつくって寒暑を防いだり、いつも米などを食べていることができるようになっている。これこそ人造作為の道でなくてなんなんだ。
自然の道というのは永久に廃れないが、人のつくった道は怠ればすぐ廃れるんだ。しかしこの区別がはっきりと飲み込めないもんだから、人がつくった道を天理自然の道だと混同して、思うようにならないことが多いと、挙句の果ては、この世は憂き世だなどというようになってしますんだな。
がんらい、人道というもんは、荒れ果てた原野のうち、肥えて草木の繁る所を田や畑として、そこには雑草が生えぬようにし、土地の痩せた所は牧草地として草が繁るようにしようとするというもんだんだ。こういうわけで人道とは人がこしらえた道であって、ひとりでにある道ではないんで、全く異なる原理であるということをよく理解せにゃいかんぞ。(五)
人道とは、人間が自然の摂理に抗して築いた努力の道である。
それはまるで、荒野に畑を切り拓き、雑草を取り除き、実りある土地を保とうとする行いに似ている。
自然のままに生きる畜道が廃れることのない天理の姿だとすれば、人道は放っておけばすぐに崩れる人工の構えだ。
人はしばしばこの両者を混同し、「思うようにならぬ」と嘆くが、それは自然の道に人の秩序を求めることの矛盾に過ぎない。
人道はつねに自覚と節制と不断の努力によって支えられている。これを見誤らないことが、日々の営みを見失わぬための鍵となる。
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今日はいらぬことをしてまだ読めておりません。
今日もはここまでです。
ありがとうございます。
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