第二十三夜 植物の輪廻

仏の教えというのは深い面白味がるな。
いま身近なたとえ話してみれば、豆の前世は草なんだ。草の前世は豆だよというようなもんだ。
だから豆粒に向かっては、お前もと草に化身だぞ。うそだと思うなら、お前の過去を話してやろう。お前は前世で草で、何国、何村の何某の畑に生まれ、雨風をを凌ぎ、炎暑を避けて草に覆われ、兄弟を間引かれ、艱難辛苦を経て豆粒にまでなったんだぞ。この畑のあるじの大恩を忘れず、またこの草の恩をよく考えて、早く豆粒の世を捨て、もとの草になり、繁茂することを願いなさい。いまの豆粒の世を仮の世なんだ。未来の草の世こそ大事なんだぞ、というようなもんなんだ。
また草に向かっては、お前の前世は種なんだぞ。この種の大恩によって、いま草と生まれ枝をはやし、葉を出し、肥を吸い、露を受け、花を開くようになって。この恩を忘れず早く未来の種となることを願うんだ。この世は苦の世界で風雨寒暑の禍がある。早く未来の種となって風雨寒暑も知らない、水火の心配もない土蔵の何に住む味となんなさい、というようになもんだ。ワシは仏教のことはよく知らぬがだいたいこんな具合だろう。
この世の草はみんな、種になれば芽を出すきざしあり、生えれば育つきざしがあり、育てば花が咲くきざしがあり、花咲けば実を結ぶきざしがあり、実を結べば落ちるきざしがあり、落ちればまた芽生えるきざしがあるんだ。これが、止まることなく変化し、巡り巡ってもとにかえるとおを繰り返すという法則なんだよ。(一〇九)
すべてのものには「前」があり、「次」がある。豆は草から生まれ、草はまた豆へと還っていく。このたとえ話のなかに、仏教の教えの奥深さと、自然の理の妙を感じます。
一粒の豆にも、それまでの物語がある。風雨に耐え、間引かれながらも芽を出し、実を結んできた。その営みを忘れず、次の役割に向かう――そんな姿に、人生や仕事の流れを重ねずにはいられません。
いま自分が担っている役割も、「過去の恩」に支えられ、「未来の責任」に続いている。そのことを心にとめ、今の立ち位置に執着することなく、次なる種へとつなげていく心が大切なのだと思います。
変化は巡り、やがてまた同じ場所に還る。その輪の中で、誠実に、感謝を持って生きたい。そんな気持ちになりました。
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これは利用できそうなことが書いてありそうです。
より時間効率を上げるために学ぶ必要があります。
今日もはここまでです。
ありがとうございます。
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