第三十七夜 人の感覚は及ぶことしかわからない

儒教では、「太極」「無極」という言葉があるが、人間の考えの及ぶにを太極といい、及ばないのを無極といっただけなんだ。
考えが及ばないからといって、ないわけではない。
海の遠いところには波がないように見えたり、遠くの山には一本一本の木はよく見えないので、木なしといったりするが、これは人間の目では見えないからそういうだけで、実際には遠海に波がないわけではなく、遠山に木がないのでもない。
自分の眼力が及ばないだけで、すべてのことがこれと同じなんだな。(九九)
「太極」と「無極」という儒教の言葉は、宇宙や存在の根源を表す深遠な概念として語られる。しかし二宮翁は、これをきわめて実感的にとらえなおす。「人間の考えが及ぶものを太極といい、及ばぬものを無極といっただけだ」と。
たとえば、遠い海に波が見えず、遠くの山に木が見えなくても、実際に波や木がないわけではない。ただ自分の視力が及ばないだけだ。このように、存在や真理を「自分の知覚」によって決めつけるのは、思い上がりでしかない。
私たちは、見える範囲だけを「すべて」と思い込んでしまいがちだ。しかし本当の世界は、見えないところ、理解が及ばぬところにも広がっている。知の謙虚さを忘れてはならない。太極と無極の違いとは、まさに「人間の限界」を示す言葉なのだ。
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