第三十九夜 諸行無常とは

仏教では「諸行無常」ということをいうね。
この世で行われるすべてのものはみな常なきものだ。それを常にあるものだと見るのは迷いなんだぞ。
お前たちの命やからだも皆そうだ。長短、遅速はあるかもしれないが、みな常にあるもんじゃない。あると思うのは迷いなんだ。
本来は長短もなく、遅速もない。遠近もなければ、生死もない。蜉蝣の一時の命は短いと思い、鶴亀の千年の寿を長いと思うにも、みんな迷いだぞ。
そうは言うものの、この道理は見えにくく理解しにくいかもしれんな。人の目で理解できるのは遠近ぐらいなものなんだろう。これはワシの悟道入門の歌だ。
見渡せば遠き近きははかなけり
おのれおのれが 住処にぞある
いま静かに達観すれば生死だって、善悪だって、愛情の問題でも、この歌の意味を感じということができれば、みな同じだってことがわかるだろう。生といい死というものみ、共に無常であって、頼みにならぬことは明白なんだ。
氷と水の関係を見るがよい。何を生といい、何を死というか。水は寒気に接して氷となり、氷は暖気に当たって水となる。今朝は寒いと思っても、いったん暖かくなればすぐに消えてしまうのをどうすることもできないじゃないか。
水か氷か、氷か水か。生か死か、死か生か。何を生といい何を死というのか。諸行無常であることがよくわかるんだ。そしてまた、無常も無常でなく、有常も有常ではない。惜しい、欲しい、憎い、かわいい、どれもこれもみな迷いなんだ。
このように迷うから、三界城という破りにくい城のようなものができて、その中にとじこもって、人を恨み、人を妬み、ひとを嫉み、人を憤り、それによっていろいろな悪い結果をつくり出してしまうのだ。これは諸行無常なんだ。世界はみな空だという境地に立ちいたって、恨み、妬み、憎み、憤りはばかばかしいことだということになるんだよ。
ここまでくれば、自然と怨念死霊も雲散霧消してします。これが悟りというもんで、この境地を成仏というんだな。よくこの意味を考えて、悟りの門に入るがよいぞ。(続三八)
「諸行無常」——すべてのものは変化し、移ろい、常には留まらない。仏教のこの基本的な教えを、二宮翁は実にわかりやすく、かつ深く説いている。
私たちは、命あるものの長短や、物事の善悪、遠近といった相対的な世界のなかで日々を生きている。だが、それらの違いはすべて、私たちの迷いがつくり出したものに過ぎないと翁は言う。
水と氷の例えが示すように、生と死もまた表裏一体、寒さに凍って氷となり、陽気に触れてまた水に戻るように、固定された姿は何一つない。生死も、善悪も、愛憎も、みな形を変えては現れ、消えゆくものなのだ。
「遠き近きははかなけり おのれおのれが住処にぞある」
この一首にすべてが詰まっている。善悪に囚われず、憎しみにも流されず、「いま、ここ」に静かに立つ。それが悟りへの道であり、迷いの世界を脱する第一歩となるのだろう。
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