二度とない人生を⑤

「死」は人生の総決算である。肉体の朽ち果てた後に、なお残るものは、ただ、肉体が動いている間い為した真実のみである。
徳川時代三百年の間で、いちばん有名な詩人の頼山陽が、十三歳になった正月に、「十有三春秋 逝くものはすでに水の如し 天地終始なく 人生生死あり 安んぞ古人に類して 千載青史に列するを得んや」と詠まれたとのことです。この詩の中で最も好きな言葉は「天地終始なく 人生生死あり」です。かつて、色紙に書毫をお願いしますと、森先生は、この一句をか細く流れるようにしかも芯の勁い書体で書きとどめて下さいました。明治期のキリスト者、内村鑑三先生の「人生最大の遺物」という書物に、「人生の遺産として、金や事業を遺すのはそれなりの意義があり、価値があるが、これは誰しも為し得るものではない。何人も遺し得るものは、実に勇気ある高尚な生涯である」と言っておられるが、これまた味わい深い言葉です。
何を自分が残せるのか――それこそが人生の最も重要な問いだと思います。 金は残せないかもしれませんが、せめて事業として、何か人の役に立つものを残したい。その思いは年々強くなってきています。
事業と金は切っても切り離せないものではありますが、真に価値あるものとは、人の暮らしの中で必要とされ、時代を越えて生き続けるものではないでしょうか。 単に利益を追うのではなく、「なくてはならないもの」を生み出すこと――そのことにこそ、人生の真実があるように思います。
そのためには、自社の強みや弱みを見極め、外部環境を冷静に分析しながら、何のためにこの事業を続けるのかを問い続けねばなりません。 「何のために」という問いを持ち続けることが、生き方を磨き、最後に残る「真実」を形づくることにつながるのだと思います。
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