二度とない人生を⑥

われわれ人間は、いやしくも「生」この世にうけた以上は、それぞれの分に応じて一つの「心願」を抱き、それを最後のひと呼吸まで貫かねばならぬ。
森信三先生は、よく「内に心願を秘めて」とおっしゃいました。そして「心願」とは、「わたくしの人生を何に捧げるべきであるか、その献身の対象を見出した時の心的境涯をいう」とも説かれています。私が夕方五時ごろ、JR神戸駅で降りしなに見つけた瞬間のできごとです。少し乗客が混んでいましたが、静かに身を屈めてそっと空き缶を拾われた一人のお嬢さんがおられました。私も拾うおうかと注目していたので、その年若い娘さんのさりげない美しい行為に、感動しました。
かつて先生を見送って駅までいく途中、心なき人によって倒された大型のポリバケツよりはみ出した生ゴミを素手でさと拾い集め元通りにし、商店街をさりげなく帰って行かれた夜の先生の後ろ姿を忘れることが出来ません。
たった一つの、さりげない行為が人を感動させるのですね。 目の前のゴミひとつ拾えない人が、世の中にはどれほど多いことかと思います。 けれど実際には、誰もが「拾いたい」と心のどこかで感じているのではないでしょうか。 問題は、その思いをすぐに行動に移せるかどうかです。
私自身も、頭の中でいろいろな理由を並べて、結局拾えなかったことがあります。 「拾った後はどこに捨てようか」「人目が気になる」――そうした小さな逡巡が行動を止めてしまう。 本当に残念なことです。
森信三先生のように、迷うことなく手を差し伸べる姿勢には、ただ頭が下がります。 先生が素手で生ゴミを拾われたという話を読むたび、行為そのものよりも、その自然さ、ためらいのなさに胸を打たれます。 その後の手をどこで洗うか――そんなことを考えてしまう自分が、いかに小さく、理屈ばかりであるかを思い知らされます。
こうした「素直さ」の欠如が、もしかしたら仕事や業績にも影響しているのかもしれません。 もっとまっすぐに、感じたことをそのまま行動に移せる人間でありたい。 森信三先生の行為は、その理屈を超えた“心の美しさ”を教えてくださるように思います。
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