二度とない人生を⑨

絶対不可避なる事は、即絶対必然にしてこれ「天意」と心得べし。
我が身にとって避けようと思っても避けられないことには、自己にとって必然最善と思って甘んじてお受けするだけではなく、これぞ天意にして天命なりと心安んずるほかないということです。
森信三先生の生涯の歩みを省みましても、ここに絶対必然ともいうべき不可避の運命による幾多の逆境とその透関のあとを辿ることができます。まずは両親離婚より、三歳のときに森家の養子にやられたらことから端を発し、中学進学を断念、高等科より師範学校(一部)へ進学。その前に小学校の給仕を経験。また広島高師に学ぶも、学費はサントリーの創業者鳥居信次郎氏の援助を受け、京大哲学科は四日市の小菅剣之助の篤志を受けて修学を終えられました。その後、天王寺師範に在勤十三年に及んだが、その沈潜期において、一代の学問の基礎と、不朽の名著「修身教授録」をものされました。まさに本項の語録は、先生自ら身をもって体験せられた珠玉の言葉と言えましょう。
避けようにも避けられないことというのは、確かにあるものです。 幼少期や青年期は、とくに自分の意志ではどうにもならないことが多く、その中で人生の方向が決まっていくこともあります。 誰しも思い通りにならない現実を通して、何かを学び取っていくのでしょう。
大切なのは、自分に降りかかる出来事をどう受け止めるかということです。 それを不運と見るか、天意として受け入れるかによって、その後の歩みがまったく変わってくるように思います。 起こったことを拒まず、その中に必然の意味を見いだし、少しでも自分にできる最善を尽くす。 その積み重ねこそが、人としての深さをつくっていくのだと思います。
もちろん、思うようにできていないことも多く、反省ばかりです。 けれども、与えられた環境の中で、自分にしかできないことを見つけ出し、少しずつでも改善を重ねていきたい。 それが“天命を生きる”ということの第一歩ではないでしょうか。
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