二度とない人生を⑧
「立腰道」の究極は、「丹田の常充実に」にあり。 「未発の中」ともいうべきか。 「腰骨を立てること」は、一語に要約して。「立腰」と言われます。「丹田の常充実」とは、丹田しなわち下腹部に、常時、内在力が充 ・・・
「立腰道」の究極は、「丹田の常充実に」にあり。 「未発の中」ともいうべきか。 「腰骨を立てること」は、一語に要約して。「立腰」と言われます。「丹田の常充実」とは、丹田しなわち下腹部に、常時、内在力が充 ・・・
われわれ人間は、いやしくも「生」この世にうけた以上は、それぞれの分に応じて一つの「心願」を抱き、それを最後のひと呼吸まで貫かねばならぬ。 森信三先生は、よく「内に心願を秘めて」とおっしゃいました。そし ・・・
「死」は人生の総決算である。肉体の朽ち果てた後に、なお残るものは、ただ、肉体が動いている間い為した真実のみである。 徳川時代三百年の間で、いちばん有名な詩人の頼山陽が、十三歳になった正月に、「十有三春 ・・・
「死」の徹見即「生」の充実。 「死」の絶望にボールを投げつけ、そのはねかえる力を根源的エネルギーとし、日々を真剣に生き抜くべし。 この言葉は、「人生二度なし」の内容をより具体的に象徴的に説かれたもので ・・・
人はすべからく「終生の師」をもつべし。真に卓越せる師をもつ者は、終生道を求めて留まることなく、その状、あたかも北斗星を望んで航行する船舶の如し。 森信三先生は「人生形成の原理」として(一)素質(二)逆 ・・・
「信」とは、人生いかなる逆境をも、神仏からわが為に与えられたものとして、回避しない「生」の根本態度をいう。 先生の名言の一つとして、「逆境は神の恩寵的試練なり」とありますが、本項はこの短言名句の解説に ・・・
「人生二度なし」-この根本認識に徹するところ、そこにはじめて叡智は脚下の現実を照らしそめると云ってよい。 現代の覚者と呼ばれ、稀代の哲人と称された森信三先生に対して、先生の根本信条は何かと問われると、 ・・・
最後になりました。結構長い戦いになってしまいました。 女性のための修身教授録は今の時代にそぐわないところもあるかもしれませんが、根本的にはこの先生の愛情深い最後の言葉でOKだと感じます。 おせっかいな ・・・
そもそも物事というものは、すべて比較を止めたとき、絶対無上となるものであります。総じて善悪とか優劣などということは、みな比較から起こることでありまして、もし全然比較をしなかったとしたら、すべてがそのま ・・・
人間の心の清らかさは、それが深まってきますと、ある意味では「報いを求めぬ心」ともなるようです。ところでこの「報いを求めぬ心」ということは、コトバで申せばただの一口で済みますが、なかなか至難なことであ ・・・