書は心画|9月12日のことです
Release: 2019/09/12 Update: 2019/09/12
書は心画
書は心画です。心の絵であり、心操の投影です。書道は、書を上手に書くようになろうというのでなくして、書という形象を一つの容器として、その書を紙の上に書いて、そこにあらわれている我が心を直していくのです。
今申し上げることがもし真実と致しましたら、一体どうなるのでしょうか。あくまでこのところに現れている自分の心を真からいたわり、育み、いとおしみ、愛してゆかねばなりません。
なにごとによらず愛さなくては、けっして良くなるものではありません。
9月12日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
書のことはわかりません。
しかし、何か集中して心から湧き出るものを表現できたとしたらそれは人に何か伝えるものになるのでしょうね。
たしかに書は人によって力強さを感じたりします。
それは心の反映を見せていただいているんですね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
苦悩から逃げない 苦難は人を殺すためにあるのではない。人をより善くし、より一歩を進めさせようと向上させようとしているのである。 一世の師表と仰がれる人々はもとより、世のいわゆる成功者という人たちについ…
準備はよいか 準備はよいか。用意はできたか。 「用意周到」とは、物に関する方面だけでよいであろうか。 実はこの奥に、こうした物すべてを生かすか殺すか、そのノド首をぎゅっとおさえているものがある。 それ…
人体は、宇宙の運行と共に生き、天地の生成と共に同じ力で息づいている。 肉体は、自分で治る力を持っている。医薬も、その他一切の治病の方法も、だた自然に治る力を旺盛にする方法であるにすぎない。 それをじゃ…
自然力を取り戻す ネズミは火事のある前はすでに宿がえをして一匹もいない。鳥はその年の暴風を予知して、高い所に巣はつくらぬ。 動物は自然生活をしているからである。自然法のまにまに少しも我見我意をさしはさ…
我の外に何物もなし 実は、世に我の外には何もないのである。我が目で見た花であり、我が耳が捕えた鳥であり、我が手がふれた物質であり、我が全身に知った人類であり、社会であり、科学であり、芸術である。 我あ…