あっても、なくても|7月15日のことです。
Release: 2018/07/15 Update: 2018/07/15
あっても、なくても
金銭の豊かなときに安心して喜ぶ気持ち、いい気になる気持ち、実はこれが、貧乏人の根性です。
金銭が無くて困ることはいうまでもない。しかし、無ければ、有るように努力すればよい、努力してできぬことは、それでよいのであるから、何の不足も不満ももたない。
お金の豊かなときにも、ともしい時にも、少しも変わらぬ心境、これがその正しい心の持ち方であります。
7月15日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
人間はお金のことでの悩みというのは付きまとうものですが実際にお金ことについて努力していない場合が多い。
それは確かなことです。
困った困ったを放置した結果がお金がないということになる。
得るは捨つるにあり。捨我得全。
気づいているのに行動しないことが多いです。
あるなしに関係なく変わらぬ心境が大切なんですね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
自分が変わる 苦難は幸福に入る門であり、これがあるから正しい倫理がわかり(風が吹くので空気のあることがわかるように)、正しいレールに乗ると、そこに幸福が待っておる。 妻や子や親、すべて相手を変えようと…
悪銭は苦しみの素 たとえばここに、法をくぐって私利を得たとする、その時は得をしたように思う。そうした利益は、その人を幸福にしたように笑みかける。しかしやがては、きばをむき出してその人に反抗し、その人を…
己を尊び人に及ぼす 己の、大きな向上、躍進、完成は、己を空しくすることである。身をささげることである。ここに必ず真の幸福が添うのである。 己を尊ぶ心そのままを人に及ぼしてこそ、世界は尊敬の光につつまれ…
見るは知るの端 見るは、知るの端である。知ることによって、敬が高まり、和が強まり、愛が深まる。まさに歌境に入る出発点は、見ることである。じっと見ることである。そのまま見ることである。 見ることによって…
仏教の修行に出家して行脚、托鉢するのは、すべての物質を捨て欲望をはなれたとき、人は自然に養われるもの、そこにかえって自由の天地がうち開けることを、悟るためであろう。 昔の修験の行者が、山に寝、野に伏し…