責なきのみ|5月11日のことです。
Release: 2018/05/11 Update: 2018/05/11
責なきのみ
責なきのみ(離婁上二十二章)
【訳】
(自分の言葉に)責任を感じないからである。
〇松陰は、「人々が気楽に言葉を口にするのは、それを自分の責任とするという覚悟がないからである。その実行を責任とするという覚悟があれば、気楽に言葉を口にすることはできないはずである」と記している。
孟子一日一言、5月11日、今日の言葉です。
言葉を出す。
もし、言葉を話すことが出来なかったら一つひとつの文を相当考えて使うと思います。
そんな気持ちで言葉を出すということをしなければいけませんね。
きっと松下村塾ではそういう「実行」ということを学んでいたんでしょうね。
国の将来を考えて話すとしても実行というは非常に難しいことです。
だから、言葉を軽々しく発してはいけない。
日本を変えていった偉人に感謝です。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
惻隠・羞悪・辞譲・是非の心① 惻隠の心は仁の端なり。羞悪の心は義の端なり。辞譲の心は礼の端なり。是非の心は智の端なり。人の是の四端あるや、猶ほ其の四端あるがごときなり。是の四端ありて自ら能はずと謂う者…
尚友 其の詩を頒し、其の書を読みて、其の人を知らずして可ならんや。是れを以て其の世を論す。是れ尚友なり。(万章下八章) そのしをしょうし、そのしょをよみて、そのひとをしらずしてかならんや。これをもって…
其の心に作れば其の事に害あり。其の事に作れば其の政に害あり。聖人復た起るも吾が言を易へじ。(とうぶんこうしもきゅうしょう) そのこころにおこればそのことにがいあり。そのことにおこればそのまつりごとにが…
菽粟、水火の如くにして 菽粟、水火の如くにして民焉ぞ不仁なるものあらんや。(尽心上二十三章) しゅうじく、すいかのごとくしてたみいずくんぞふじんなるものあらんや。(じんしんかみにゅうじゅうさんしょう)…
過や日月の食の如し 古の君子は其の過や日月の食の如し。民皆之を見る。其の更むるに及びてや、民皆之れを仰ぐ。今の君子は豈に徒に之れに順ふのみならんや。又従つて之が辞を為る(公孫丑下九章) いにしえのくん…