わが一生の見通し 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた

Release: 2024/06/08 Update: 2024/06/08

今かりに人生を山登りに喩えますと、四十歳はちょうど山の頂のようなもので、山の頂に立って見ますと、わが来し方も、初めてしみじみと振り返って見ることができると共に、また後半生をいかに生きたらよいかということも、仄かながら見え始めて来るようであります。それはちょうど山登りにおいて山の頂に達すれば、わが来し方を遥かに見返すことができるとともに、また今度下り行くべき麓路も、大体の見当はつき始めるようなものです。それ故人間も四十歳前後になったならば、自分の一生について、大体の見通しがつきかけねばならぬと思うのです。そうしてわが命の果てる地点についても、大よその見当がつき出さねばならぬと思うのです。

修身教授録

過去を振り返る時間というのは大切なことですね。

今一度自分の過去を写真などで振り返ることもしてみたいところです。

一番の問題点は今後の自分ということですがいつまでも変わらぬ自分ではいけないですね。

多少なりともの変化が欲しいところですね。

とにかく切羽詰まってからでは遅いということがありますから事前に準備が必要です。

本日の森信三一日一言は

哲人といえども迷う時はあろう。だが迷う時間が短かろう。

悟った人でも迷うことはある。しかし迷う時間が短い。

森信三一日一言

哲人の先生でも迷いはあったんでしょう。

なんでもない人は迷う時間が長いということで、実行する前に悩むんでしょうね。

様々に学ぶというのは時間の短縮につながるということで本日も学んでいこうと思います。

本日の伝記は

小泉 信三 (こいずみ しんぞう)  慶応義塾塾長にして闘う経済学者

【小泉信三は、いち早くマルクス経済学の矛盾に気付き、共産主義批判の論陣を張った。そして日本を共産化の危機から救おうと警鐘を鳴らし続けた。イギリス留学時代に社会主義関連の文献を集め、それを徹底して学んだことが役に立ったのである】

世界に誇れる日本人100人 (第2巻) 人材育成に情熱を捧げた13人

現在の上皇様の教育係で、美智子様と結婚するきっかけなども作った人だったようです。東京空襲で重度のやけどを負うなどしてかなりつらいことも経験しているようです。偉人は苦労の中から生まれるのでしょうね。

渋沢 敬三 (しぶさわ けいぞう)  

民俗学のパトロンとなった渋沢栄一の孫 【銀行家渋沢敬三は、祖父栄一の築いた渋沢財閥の重圧から逃れるかのように民俗学にのめり込んでいった。しかし、学問の道は銀行業とは所詮相容れないものである。3年に及んだロンドン生活を終え、彼は学問を側面から支援するパトロンの道を決意して帰国した】

世界に誇れる日本人100人 (第2巻) 人材育成に情熱を捧げた13人

渋沢栄一を祖父にもつという重圧ははかりしれないものでしょうね。自分のつきたい仕事につけない辛さはなかなか出来ない経験でしょう。

鈴木 鎭一 (すずき しんいち)  

愛と魂のバイオリン教育 【バイオリンによる情操教育「スズキ・メソード」は、鈴木鎭一の音楽と子供への愛情から生まれたものである。留学先ドイツでクリングラーから「魂の演奏」を学び、帰国後、子供たちへのバイオリン教育を開始する。それは一つの発見から始まった】

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子供は無限大の可能性ですね。

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今日はここまでです。

ありがとうございます。

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