18 真の剛者の道 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた
真の道徳修養というものは、意気地なしになるどころか、それとは正反対に、最もたくましい人間になることだと言ってよいでしょう。すなわちいかなる艱難辛苦に会おうとも、従容として人たる道を踏み外さないばかりか ・・・
真の道徳修養というものは、意気地なしになるどころか、それとは正反対に、最もたくましい人間になることだと言ってよいでしょう。すなわちいかなる艱難辛苦に会おうとも、従容として人たる道を踏み外さないばかりか ・・・
われわれ人間が禽獣と異なるゆえんの真の根本は、結局理智の奧底にあって、常に理智を照らして導くところの、真の人生の叡智でなくてはならぬでしょう。すなわちわれわれ人間に、真の正しい生き方を教える真の叡智で ・・・
かの孔子が論語の始めに「朋遠方より来るあり、亦楽しからずや」と言っている朋というのは、実は「同門の友」ということであります。同時にそう考えますと、また格別の味わいがありましょう。すなわちただ遠方から友 ・・・
この「尚友」という言葉は、諸君らにとっては、あるいは耳新しい言葉かと思いますが、これは友を尚ぶという意味で、この言葉は読書と並べて、古来「読書尚友」というふうに使われている言葉であります。げんに松陰先 ・・・
世間ではいわゆる篤農家とか、精農と言われるほどの人物は、ほとんど例外なく、非常な読書家だということです。これは二宮尊徳翁のごときは言うまでもありませんが、近くは明治の尊徳とも言われた、秋田の老農石川理 ・・・
一日読まざれば一日衰える。 そんな日もあるわけですからそれは衰えるわけです。 出来ればどこかでそのような日がないようにしたいものですが、まだまだそんな日があるわけです。 一日のルーティンにするためには ・・・
われわれは、一体何のために学問修養をすることが必要かというに、結局は「人となる道」、すなわち人間になる道を明らかにするためであり、さらに具体的に言えば、「日本国民としての道」を明らかに把握するためだと ・・・
ここで孔子が「吾十有五にして学に志す」と言われたこの「学」というのは、普通にいわゆる勉強を始めたとか、ないしは書物を教わりだしたなどという程度のことではないようです。それというのも、ここに「志学」と言 ・・・
志学という言葉は、諸君らもすでにご存じのように、論語の中にある言葉です。すなわち「吾れ十有五にして学に志す」とあって、孔子がご自身の学問求道のプロセスをのべられた最初の一句であります。 これは言い換え ・・・
今人間の活動を大体六十歳頃までと考えますと、そのうちに十歳までは志を立てる時代といってよく、すなわち将来国家社会のために役立つ人間になろうという志は、十五歳頃から遅くとも二十歳までには確立せねばならぬ ・・・