一日の終わり、人生の終わり
一日の終わり、人生の終わり
われわれが夜寝るということは、つまり、日々人生の終わりを経験しつつあるわけです。一日に終わりがるということは、実は日々「これでもか、これでもか」と死の覚悟を促されているわけです。しかるに凡人の悲しさには、お互いにそうとも気付かないで、一生をうかうかと過ごしておいて、さて人生の晩年に至って、いかに歎き悲しんだところで、今さらどうしおうもないのです。
人間も五十をすぎてから、自分の余生の送り方について迷っているようでは、悲惨と言うてもまだ足りません。【504】
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悲惨というものに近いです。
まぁほぼ50歳になるわけですが一日で全部の仕事を終えたとはとても言い難いからです。
仕事もあらゆる面に及ぶわけですが、自分の我がまだまだ抜けないからこういうことを思うのでしょうね。
到底自分で一人でできるものではないのですが権限移譲が上手に出来ない。
一日の終わりが人生の縮図だとすれば今の状態ではあまりいい死に方を出来ない気もします。
しかし、苦しみまた苦難は幸福の門でいいのですがまだまだ我を越えた部分ではないんんでしょう。
とにかく一日をやり切り、違う発想を生みださなければ妙味もないですね。