鍛錬
Release: 2022/09/30 Update: 2022/09/30
鍛錬
われわれ凡人は人生のある時刻において、何らかの意味でかようなきびしい鍛錬をその師から受けない限り、真の人間とはなれないのではないでしょうか。【160】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
鍛錬が全然足りていないのでしょうね。
自分自身をどう鍛錬するかということも大事ですが、鍛錬の方向性を間違えると無駄が多い。
ここで大事なことは、自分の師を持つということなんでしょうがそう思えるよな人というのはなかなかいないものです。
自分をどの場に置くかということは自分で選べるのですから、若いうちにそういうことに気付きたかったと思います。
しかし、逢うべき人には必ず逢えると先生は言っておられます。
読書と実践を目標としていれば自ずと師も見つかるかもしれませんね。
尊敬はできるが師となるような人にはまだ出会うことは出来ておりません。
メンターも師というのでしょうかね。
メンターでは趣が感じられませんがね。
関連コンテンツ
生き甲斐のある人生 いやしくも人間と生まれて、多少とも生き甲斐のあるような人生を送るには、自分が天からうけた力の一切を出し尽くして、たとえささやかなりとも、国家社会のために貢献するところがなくてはなら…
人の長たる人において最も重要な資質は、一方では、多くの人々を容れる包容力ふあると共に、さらに今ひとつの資質として、「断」を下しうる処がなくてはならぬからである。けだし「断」は現実界における決断、決定の…
教えと経験 人間は学校で教わることは、ちょうど地下工事に当たります。その上各人が独自の建物を建てねばなりません。その建物のうち、柱は教えであって壁土は経験です。【134】 #修身教授録一日一言 #森信…
不幸の中にある教訓 不幸というものは、なるほど自分も不幸と感じ、人もまたそれを気の毒、哀れと同情する以上、一応たしかに不幸であり、損失であるには違いないでしょう。しかしながら、同時にまたよく考えてみれ…
師の教え 自分の一生の目標を何と立てるかということも、結局はその人が、師の人格に照らされて初めて見出されるものであって、人間は師をはなれては、生涯の目標も立たないと言ってよいでしょう。またいかなる書物…