一道をひらく
Release: 2022/06/01 Update: 2022/06/01
一道をひらく
一道をひらくということは、それによって自分自身が救われると共に、さらに後に来る同じ道をたどる人々に対して、その行く手を照らすという意味がなければならぬと思うのです。
すなわち、われわれ人間は、真に自己の生活に徹して生きた時、一人自分がその職責を全う得るのみならず、さらに同じ職域にいる他の人々に対しても、何らかの意味で、お役に立つことができるのであります。【116】
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偉人となる人というのは、この一道ということを生涯を通じて行える人であると思えます。
そういう意味では教授も偉人と言える大人物です。
今の時代にも偉人となるべき人たくさんいるでしょうが同時代を生きているとなかなか気づきにくいものです。
それはやはり今の人は過去の偉人を感じることができるということと、今は情報が取りやすく判断の材料が多いということがあるかもしれません。
教授はよく隠者ということも話のなかでは出て来るのですが、今もそういう人がいるのだと思います。
人生二度なしと考えると一道に徹して生きるのはかっこいいです。
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