下座を行ずる①
Release: 2022/09/24 Update: 2022/09/24
下座を行ずる①
下座行とは、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安じて、わが身の修養に励むことを言うのです。そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。すなわち、身はその人の実力以下の位置にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精進する態度を言うわけです。【417】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
人間もこういうことを考えないとどうにも傲慢になってしまうものだと感じます。
普段は人間はとくに自分のことを過大評価しているのでしょうね。
また、人と比べて出来ているところを探す部分もあるかもしれません。
そうなってくるとどうにも傲慢になってしまいます。
下座行も実際習慣化しなければ難しいものだと思います。
今日はトイレを掃除した。明日はゴミを拾った程度のことではとても「行」とは言えませんね。
日頃から気をつけて-努力はするべきですね。
関連コンテンツ
弱さと悪の愚かさとは互いに関連している。けだし弱さとは一種の悪であって弱き善人では駄目である。 運命を創る100の金言 #運命を創る100の金言 #森信三 先生のどの本に書いてあったか思い…
真の読書というものは、いわばその人がこれまで経験してきた人生体験の内容と、その意味を照らし出し統一する「光」といってもようでしょう。だから、せっかく、深刻な人生経験をした人でも、もしその人が平生読書を…
人間はいかに優れた師を持ち、よくい教えに接したとしても、結局のところは、自分を律するものは自分以外にはないわけでありまして、いかに優れた師といえども、本人が自ら律しようとしない限り、いかんともしがたい…
才能とは磨かれるもの 井戸水も、これを鶴瓶で汲み出さなければ、地上にもたらして、その用に充てることはできず、また鉱物も鉱石もそのまま地中に埋もれていたんでは、物の用に立たないように、今諸君らにしても、…
心にすが入らぬように 諸君らが今日忙しさに口実を求めて、何ら自発的な読書をしないということは、すでに諸君らの心にすが入りかけている何よりの証拠です。【65】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿…