下座を行ずる①
Release: 2022/09/24 Update: 2022/09/24
下座を行ずる①
下座行とは、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安じて、わが身の修養に励むことを言うのです。そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。すなわち、身はその人の実力以下の位置にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精進する態度を言うわけです。【417】
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人間もこういうことを考えないとどうにも傲慢になってしまうものだと感じます。
普段は人間はとくに自分のことを過大評価しているのでしょうね。
また、人と比べて出来ているところを探す部分もあるかもしれません。
そうなってくるとどうにも傲慢になってしまいます。
下座行も実際習慣化しなければ難しいものだと思います。
今日はトイレを掃除した。明日はゴミを拾った程度のことではとても「行」とは言えませんね。
日頃から気をつけて-努力はするべきですね。
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