不遇を鍛錬の機会とする
不遇を鍛錬の機会とする
下坐行ということは、その人の真の値打以下のところで働きながら、しかもそれを不幸としないばかりか、かえってこれをもって、自己を識り自分を鍛える絶好の機会と考えるような、人間的な生活態度を言うわけです。【418】
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何か一つでもこの下座の行を行うことが人間力を高める基本なんでしょうね。
基本的にはトイレ掃除、ゴミ拾いなど人知れずに行うことが大切なことのようです。
目立つところを行うというのも大切ですが誰にでもわかるところをやるよりも端っこの誰にも気づかれないような場所をやることが趣のあるところなんでしょうね。
ところで話は変わりますが、先生の恩の形而上学という本を買ってみたのですがまったくもって理解できないことが多い。
冒頭から「理法は万古であろうが、これが真の具体的実現は、即今現前の一行為を離れぬが如く、実在は本来絶対唯一であろうが、これが体系的把握としての哲学は、人によりその体系の特質を有して・・・」。
まったく理解できません。
日本を理解出来ない自分が情けないですがこの本と縁が出来たと喜んでおきましょう。
読むのには相当な時間がかかると思います。