人の地に入りて深からざるものを、軽地と為す。(九地)|6月18日
Release: 2020/06/18 Update: 2020/06/18
人の地に入りて深からざるものを、軽地と為す。(九地)
入人之地而不深者、為軽地。
「他の国に攻め入ったが、まだあまり深く侵入していないばあい、その戦場となる地域を軽地という」
”軽地”とは、他国に攻め入ってはいるが、それほど深く進攻してはいない地域である。
なぜ、軽地というか?おそらく、そのような地域では、兵士たちはまだ戦うという意識が定着していなく、心理的にも軽々しいからであろう(孫子のこの定義には、牽強付会の気はまぬがれないようだ)。
6月18日、孫子・呉子一日一言(兵法に学ぶ人と組織の動かし方365)の言葉です。
おはよございます。
まず、牽強付会という言葉を始めてしりました。
牽強付会ーけんきょうふかい(自分の都合のいいように、強引に理屈をこじつけること。)
う~ん。難しいですね。
この九地篇ではリスクを取って挑戦するとありました。
敵地の入り口付近ではまだ兵士はその気なっていない。
仕事たとえるとすぐに引き返せるような状態なんでしょうか。
今日も一日がんばります。
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