人間は井戸のようなもの
Release: 2022/07/05 Update: 2022/07/05
人間は井戸のようなもの
人間の力にはそれぞれ限度があるとも言えますが、同時にまた側面からは、再現がないとも言えるのです。
それはちょうど井戸水みたいなもので、なるほど一方には、水のよく出る井戸もあれば、また出のよくない井戸もあると言えましょう。しかし実際には、水をかい出して、もう出なくなったと思っても、しばらくすればまたちゃんと元のように溜っているのです。人間の力もまあそんなもので、もうこれ以上はやれないと思っても、その人にして真に精進の歩みを怠らなければ、次つぎと先が開けてくるものであります。【52】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
限界だと思っても挑戦し続ければどうにかなるもんだということがわかる言葉です。
何事も諦めないことですね。
これは訓練しかないんでしょうね。
自分の中で限界、もう無理と感じても案外と続けてみればできるということがあります。
筋トレとかもそんなもんなんでしょうね。
人間はなりたいものになれるという実践をやってみたいですね。
極限まで追い込むということをやらなければなりません。
関連コンテンツ
人生の歩み方② 同時にこの二十歳から四十歳までの二十年間の準備いかんが、その人の後半生の活動を左右すると言ってよいでしょう。それはいわば花火の玉を作るようなもので、どんな花火が出るかは、まったくその準…
人は一時期下積みになっても、それは将来の土台づくりであり、一時の左遷や冷遇は、次の飛躍への準備期間であり、忍耐力・持久力の涵養期として隠忍自重して、自らの与えられたポストにおいて、全力発揮を怠らなかっ…
四十歳 人生を山登りに喩えますと、四十歳はちょうど山の頂のようなもので、山の頂に立って見ますと、わが来し方も、初めてしみじみと振り返って見ることができると共にまた後半生をいかに生きたらよいかということ…
世には、十年一筋の一道を歩む人は少ない。ましてや二十年、三十年、一筋の道を歩き通す人は稀である。恐らく百人中、二、三人しかあるまい。いわんや、五十年一道を歩むに至っては、千人中二、三人が危うかろう。し…
感激の永続は難しい 諸君らも、かような(感動的な話を聞かされた場合にはそれに感動もし、またその場では一応決心もされるでしょう。しかしいったんその場を去れば、多くはたちまち忘れてしまって、その感激は永続…