心は常に自由|10月4日のことです
Release: 2019/10/04 Update: 2019/10/04
心は常に自由
物の世界を超えた心の面は、常に自由である、どこも平等である。いくら大きい希望をいだいていても、大きすぎるとなじる者はいない。いくら遠大な理想をかかげても、税金はかからぬ。
ゲーテやミケランジェロ以上の芸術家が出ていかぬという制限もないし、君はカーネガーやフォード以上の事業をやってはいかぬとのおきてもない。
心の灯はかかげるにまかせ、精神のダイヤはみがくにまかされている。まことに自由、実に平等・・・何物のさまたげもない、何時という制限もない。
10月4日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
たしかに心はどこまでも自由ですね。
何を思おうがどんなに広い世界をみようが際限はありません。
しかし、紙に計画を立てる時には現実目線になっちゃいますね。
実際はなんでもやってみたいが抑えている。
実に面白くない誰にも見せないものには壮大なテーマを書こうと思いました。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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