本質を見失うな①
Release: 2022/02/23 Update: 2022/02/23
本質を見失うな①
人間というものは、現在自分の当面している仕事をまず片付けて、しかるのち、余力があったら、自分の根底を養うような修養をすべきでしょう。【465】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
自分の当面している仕事が尽きることがないのはまた素敵なことなんでしょうね。
もう何もすることがないという状態を作ったことがないのが問題なんでしょうか。
なんぼでも仕事あるものですね。
しかし、優先順位をつけていくことは大切なことです。
途中途中で違うことも入ってくるがそれもやりながら前のこともやる。
余力ができるほどに全部を片付けていかなければなりませんね。
結果的まだまだといういうこですね。
寝ないでやれるほどワクワクはしていないとも入れるのか。
難しき問題ですね。
関連コンテンツ
われわれ人間は一生のうちに、少なくてとも三度偉人の伝記を読むべき時期があると思うのであります。そしてその第一は、小学校の五・六年から中学。高校時代に掛けての時期であり、第二は、三十代の前半から後半に掛…
義務の読書は意味がない 書物というものは、義務意識で読んだんでは駄目です。義務意識や、見せびらかし根性で読みますと、その本の三分の一はおろか、五分の一の意味も分からないでしまいます。【137】 #修身…
「知恵」というのは、他人の書いた書物の受け売りをすることなどとは、天地ちがうんです。生きた真理を身をもってピタリピタリと押さえていくことなんです。 #運命を創る100の金言 #森信三 知識と知恵の違い…
気分とは妙なもの 人間の気分とうのは妙なもので、一杯いや半杯のご飯でも、その足りないことを他人のせいにしている間は、なかなか我慢しにくいものです。ところが心気一転して、「どの程度こらえることができるか…
その場限りの感激 いかに立派な教えを聞いても「ハハァなるほど」とその場では思っても、それが単にその場かぎりの感激に終わって、一度教場を出ればたちまち元の木阿弥に返ってしまうようでは、何年学校に行ったと…