百世改むる能はざるなり|4月21日のことです。
Release: 2018/04/21 Update: 2018/04/21
百世改むる能はざるなり
之を名づけて幽厲と曰ふ。孝子慈孫と雖も百世改むる能はざるなり。(離婁上二章)
これをなづけてゆうれいという。こうしじそんといえどもひゃくせいあらたむるあたはざるなり。(りろうかみにしょう)
【訳】
(人君の地位にありながら、仁政を行わず、人民に暴虐を加えた)君主は死後には、幽王、厲王のように、幽とか厲という(悪い)諡をつけられる。(いったん諡がつけられると)いかに先祖思いの子孫がでて、この汚名を改めようとしても、永久に変更することはできない。
〇松陰は、「諡(生前の実績を評価して死後つける名)というやり方止めれば、公明な道も廃れ、君主への戒めがなくなる」と記している。
4月21日、今日の孟子一日一言です。
政治を行い歴史に名前が残るということを今の政治家の人は考えているのでしょうか。
自分のことしか、今の時代のことしか考えない政治家がいかに多いことか。
この後も人の歴史は積み重ねられていきます。
どんな時間がたっても悪名が消えることはありませんね。
凡人は先のことを考えながら今を精一杯に生きるしかありませんが。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
子は薛居州を善士なりと謂ひ、之れをして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰れと与にか不善を為さん。(滕文公下六章) しはせっきょしゅうをぜんなりといい、これをしておうのと…
歳を罪することなくんば 王、歳を罪することなくんば、斯に天下の民至らん。(梁恵王上三章) おう、としをつみすることなくんば、ここにてんかのたみいたらん。(りょうけいおうかみさんしょう) 【訳】 王がも…
吾が敬を行ふ 吾が敬を行ふ、故に之を内と謂ふなり。(告子上五章) 【訳】 (孟子の門人の公都子がいった)「自分の心の内にある敬意を実行するのが義である。だから、義は当然心の内にある」と。 〇松陰は、「…
彼れも一時なり、此れも一時なり。(公孫丑下十三章) かれもいちじなり、これもいちじなり。(こうそんちゅうげじゅうさんしょう) 【訳】 あの時はあの時、今は今だ。 〇松陰は、「君子には、己れに対処する心…
今の所謂良臣は古の所謂民族なり 「我能く君の為に土地を平辟き、府庫を充たす」と。今の所謂良臣は古の所謂民族なり。君道に郷はず仁に志すして、之れを富まさんことを求む。(告子下九章) 「われよくきみのため…