目下への謙遜
Release: 2022/04/28 Update: 2022/04/28
目下への謙遜
謙遜は、ひとり目上の人とか、ないしは同輩に対して必要なばかりではなく、むしろそれらの場合以上に目下の人に対する場合に必要な徳目だともいえましょう。【205】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
謙遜と卑屈ということを講義している章ですが、なかなか普段は考えない事柄であるのは間違いないことです。
自分が謙遜している人間かと考えたこのある人はそんなに多くはないとも思います。
要するには普段の自分の態度や振る舞いを対人関係においてどうなっているかを考えもしない人に謙遜も卑屈もないわけでもあります。
それを卑屈な考え方だと人に言ってみても仕方ないことです。
となると自分はどうなんだと考えみたところが態度としては普通を装っていても心がどうなっているかです。
瞬間、心がどう考えるか。
実に卑屈な気もします。
相手に対して心がどうなっているか観念の塊だと思うわけです。
困ったものですが、思考パターンはなかなかくせのようなもので変わらないものです。
考えることは大切だと改めて思います。
関連コンテンツ
諸君、妙なことを申すようですが、諸君らは将来教壇に立ったら、白墨は太い方から使うがよいでしょう。これを唱えられた人が、私の知っている範囲で二人あります。その一人は泉北の考子、島田安治郎先生であり、今…
日常の雑事雑用をいかに巧みに要領よくさばいていくか。そうしたところにも、人間の生き方の隠された呼吸があるということです。 #運命を創る100の金言 #森信三 雑事雑用の撲殺されている毎日ですが、要領よ…
義務の読書は意味がない 書物というものは、義務意識で読んだんでは駄目です。義務意識や、見せびらかし根性で読みますと、その本の三分の一はおろか、五分の一の意味も分からないでしまいます。【137】 #修身…
いかに深く生きるか 人生というものは限りあるものであり、しかもそれは、二度と繰り返すことのできないものです。してみると、そこに許された人生の真の生き方というものは、この限られた年限を、いかに深く生きる…
諸君は「百日の説法屁一つ」という諺を知っているでしょうが、人生ことみなしかりです。いかにその人がよく勤めたとしても、最後の退き際がまずかったとしたら、畢竟その人の全教師生活は傷つくことになります。烏…