第一夜 大自然の教え 二宮翁夜話

Release: 2025/04/29 Update: 2025/04/29

一、天道と人道(天の巻 大自然に学ぶ) 第一夜 大自然の教え

この世の不変の真理、つまり「まこと=誠」の道というのは、とくに学ばなくても自然に知り、習わなくても自然に覚えるものさ。

教科書もなく、記録もなく、教える人もない。それでいて人々は自然のうちにこれを自ら悟って忘れることのないもんだ。これが「まこと」の道の実体なんだよ。

たとえば、のどがかわけばだれに教わらなくとも水を飲み、腹がへれば食べ、疲れれば眠り、目が覚めれば起きるじゃないか。

古い歌に、 水鳥のゆくもかえるも跡たえて されども道は 忘れざりけり

とあるようなもんだ。記録もなく、書物もなく、学ばず、習わず、それでいてはっきりとした道でなければ「まこと」の道とはいえないんだな。

ワシの教えには、人の書いた書物などは重くみないで、大自然そのものを教科書のようにしている。ワシのつくった歌に、

音もなく香もなく常に天地は 書かざる経を 繰り返しつつ

と詠んだのがある。

毎日繰り返し繰り返し示されている大自然の教えの中に、「まこと」の道ははっきりと生きているんだ。

こういう尊い大自然を省みないで、人の書いた書物の中に道を求めようとする学者たちの言うことを、ワシは取り上げる気はない、よくよく目を見開いて、大自然の教えたるところを注意して見つけ出し、これを人生に十分活かすように心掛けることが大切なんだ。

元来、この世で横にもっとも平なものは水面で、縦にもっとも垂直なものは下げ針なんだ。

このようにすべて永久不変なものがあるからこそ、地球も測量できるわけで、これがなくては測量のしようはないんだ。暦の教えで、日かげ柱を立て、日射しを測って暦をつくったり、算術の九九の計算法のようなものも、みな自然の法則にしたがったもので、永久不変のものだ。これによって天文を考えることができ、暦法を教えることができるんだ。この方法を無視しては、どんな智者でも、具体的な実行をするすべがないだろう。ワシの説く道も同様なんだ。

天は何も言わないが、四季はめぐって万物は生育する。これはだれも書いたり、言ったりはしないが、深い深い教えなんだよ。米を蒔けば米が生え、麦を蒔けば麦が実るというようなことも、昔も今も永久に変わることのない大自然の真のあり方なんだ。自然は嘘をつかない。これが天の誠というもんだよ。

このことを十分会得して、その理法を人間の生活向上のためにうまく活かしてゆくように勤めていくことが、実に大切なことなんだよ。

只今、毎日のルーティンを模索中ですが、継続できなければ意味がなく、どうにも「やらねば落ち着かないもの」が良いと感じています。
その意味では、「一日一言」のような短いものがちょうど良いのですが、「夜話」は良い内容ではあるものの長すぎます。
二宮尊徳翁の言葉を学ぶには「夜話」の方が適している気もしますが、長いため、どうしたものかと悩んでいます。
途中で区切って読むのも一つの方法かもしれません。
それにしても、読み終えるまでに一年以上かかるのではないかと思います。
現在、「修身教授録」から取り組んでいるため、どうしても時間がかかってしまっています。
正直なところ、続けられる自信もあまりありません。

「会社は社長の器以上に大きくならない」という言葉を胸に始めたことではありますが、一日は勝手に流れていってしまうため、油断すると危険です。
しっかりと読書の時間を設けなければ、不平不満が積もるばかりです。
今日も一日、頑張ります。

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