第四十二夜 客観的にものごとを観る

世の中には、もともと吉凶、禍福、苦楽、生滅という区別はない。このことは、ワシが示した一円図(因果循環をあらわす丸の字)のようなもんだな。
それなのに、現実に吉凶禍福などがあるのは、中間におのれを置いて相手を見るからなんだ。
人は「万物は土から生まれ、土にかえる」というが、それはまだ、不十分な目先の論にすぎないな。たとえば江戸の人が、旅人は品川から出発するもんだ。というようなもんだ。江戸を出るには、いくつもの道があるから品川とは限らない。草木が春に芽をふき、生長して秋に枯れるのを見て、秋は無常というけど、農家じゃ秋は収穫の時でかえって喜ぶんだ。草の身の上から見ればまことに無常で悲しく思えるが、種の立場から見れば有常なんだ。
だから、無常もつねに無常といえず、有常もつねに有常じゃない、というべきだろうな。(続三一)
吉凶、禍福、苦楽、生滅──私たちは日々、この区別の中で揺れ動いている。しかし二宮翁は、それらはもともと一円であり、区別は「自分」という中間点を置いて物事を見ているから生まれるのだと説く。
秋の枯れ草を無常と見るか、収穫の喜びと見るか。草の立場では命の終わりであり、種の立場では命の始まりだ。無常は常に無常ではなく、有常も常に有常ではない。
物事には必ず複数の見方がある。視点を変えることで、悲しみは喜びとなり、終わりは始まりになる。固定された価値観にとらわれるのではなく、因果循環の一円を感じながら、より広い目で世界を見つめたい。
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