第四十一夜 立場によって考えが違う
Release: 2025/06/27 Update: 2025/06/27
人から見て、最も清浄だと思っている米も、その米の立ちから見れば糞尿こそ最上無類にいいものと思っていることだろう。これもまた循環の理によるものなんだよ。(一五四)
人から見れば、米は最も清らかな食物である。しかし、米の立場に立てば、その生育に欠かせないものは、まさに人が汚いと忌み嫌う糞尿である。
この逆転した視点は、私たちが物事をどれほど一方向からしか見ていないかを思い知らせてくれる。清と濁、尊と卑、美と醜。それらは決して固定されたものではなく、関係と循環の中で常に入れ替わり、支え合っている。
どんなに高貴に見えるものも、下世話なものに支えられている。そのことを知り、恥じることなく、感謝して生きる。これこそが、循環する世界の中で調和を保つ知恵なのだろう。
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