聖人の心|11月27日のことです。
Release: 2018/11/27 Update: 2018/11/27
聖人の心
聖人の心は(中略)遇ふに随ひて安く己れに預かることなし。(尽心下六章)
せいじんのこころは(中略)あうにしたがいてやすくおのれにあずかることなし。(じんしんしもろくしょう)
聖人の心は(中略)どんな境遇にあってもその境遇なりに落ち着いており、心安らかで、それに影響されるところはないのである。
〇松陰は、この朱子の註の一部を取り上げ、「聖人である舜には至上の楽しみがあったから、貧賤・富貴であっても、自分の心が動く暇がなかったというべきである。人情に聖人・愚人の差はない。心が空疎である時はいつも物足りなく思い、たのしまないものである。反対に、せっせと努力している時は心に充実感があり、いつも楽しむものである」と記している。
11月27日、孟子一日一言の言葉です。
心が空疎というのは何か満たされないも能力が常にあるんでしょう。
そしてなにか人のせいにするようなことがあって自分のことと捉えない状態かもしれませんね。
いつも何かに向かって努力している人は少しずつ達成することに充実感をもつのは当然のことだと思います。
今日一日がんばります。
関連コンテンツ
章を成さざれば達せず 流水の物たるや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。(尽心上二十四章) りゅうすいのものたるや、あなにみたざればゆかず。くんしのみちにこころざすや、しょ…
涵育薫陶 養とは涵育薫陶して其の自ら化するを俟つを謂ふなり。(離婁下七章) ようとはかんいくくんとうしてそのみずからかするをまつをいうなり。(りろうしもななしょう) 【訳】 養うとは、仁の徳でうるおし…
徒善・徒法 徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行ふこと能わず。(離婁上首章) とぜんはもってまつりごとをなすにたらず、とほうはもってみずからおこなうことあたわず。(りろうかみしゅしょう) 【訳…
子路曰わく、未だ同じからずして言ふ、其の色を観るに赧々然たり。由の知る所非ざるなりと。是れに由りて之れを観れば、則ち君子の養ふ所知るべきのみ。(滕文公下七章) しろいわく、いまだおなじからずしていう、…
天民の先覚者なり 天の此の民を生ずるや、先知をして後知を覚さしめ、先覚をして後書を覚さしむ。予れ将に斯の道を以て斯の民を覚さんとするなり。予れ之れを覚すに非ずして誰れぞや。(万章上七章) てんのこのた…