聖人ー然りとする所を得たるのみ|8月7日のことです。
Release: 2018/08/07 Update: 2018/08/07
聖人ー然りとする所を得たるのみ
聖人は先づ我が心の同じく然りとする所を得たるのみ(告子上七章)
せいじんはまずわがこころのおなじくしあしかりとするところをえたるのみ(こくしかみななしょう)
【訳】
聖人といわれる人は、誰よりも早く万人が「本当にそうだ」と思うことを、真に会得した人というに過ぎない。
8月7日の孟子一日一言です。
簡単に言っちゃってますがとても大変なことだと感じます。
しかし、誰もが正しい本当にそうだということが存在するとも思います。
学校で習う集団生活の基本的なことだとか。
聖人、徳の高い人。
人の気持ちを思いやれる人ですね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
柳下恵は三公を以て其の介を易へず 柳下恵は三公を以て其の介を易へず(尽心上二十八章) 【訳】 柳下恵は三公(天下を補佐する最高の官職)という立派な地位に誘われても、自分の節操をかえるような人物ではなか…
子を易へて之れを教ふ 子を易へて之れを教ふ。(離婁上十八章) こをかえてこれをおしう。(るろうかみじゅうはっしょう) 【訳】 (昔は)自分の子供と他者の子供をとりかえて教えた。 〇松陰は、「人の道の根…
本ある者 孟子曰く、「原泉混々として、昼夜を舎てず。科に盈ちて而る後に進み、四海に放る。本ある者は是れを之れ取れるのみ」(離婁下十八章) もうしいわく、「げんせんこんこんとして、ちゅうやをすてず。あな…
過小・大 凱風は親の過小なるものなり。小弁は親の過大なるものなり。(告子第三章) がいふうはおやのあやまちしょうなるものなり。しょうばんはおやのあやまちだいなるものなり。(こくししもさんしょう) 【訳…
朋友の道 善を責むるは朋友の道なり。父子善を責むるは恩を賊ふの大なるものなり。(離婁下三十章) 【訳】 善を責め合うのは、朋友の間の道である。親子で善を責めるのは、もっとも親子恩愛の情をそこなうもので…