見るは知るの端|3月14日のことです。
Release: 2019/03/14 Update: 2019/03/14
見るは知るの端
見るは、知るの端である。知ることによって、敬が高まり、和が強まり、愛が深まる。まさに歌境に入る出発点は、見ることである。じっと見ることである。そのまま見ることである。
見ることによって、形、色、香と性状がわかり、次第に本質にふれてくる。わかって来れば、長所美点はいよいよ良くなり、短所も欠点も、同情こそ湧け、悪むべく嫌うべきなにものも残らなくなる。
元来、物象事象の本質には美醜善悪はないのである。
3月14日、丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)の言葉です。
物事に善し悪しはない。
理解しなければなりませんね。
知ること見ることに努めていればよい。
上っ面なことだけを知り見て判断したり話したりしてはよくありませんね。
見るは知るの端。
余計な知識をいれずに自分の主観もいれずに感じてみる。
大事なことかもしれませんね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
永遠の栄え 一本の木、それは花を開き、実を結ぶ。そこに寄る虫、飛ぶ鳥、それがまた各々一つ一つの生命に、見事に統一されている。 木の下に石がある。その石が一つの力で形を成し、かたさを保つ。それが土地と岩…
わが仕事を愛せその日その日の仕事を、愛しているか。わか日々働く職場を、”無上の働き場”と考えているか。ともに働く人々を、愛しているか。これが、貧富の岐れ目である。今日私のしている仕事は、今日ただ今は、…
物は私すべからず 物は、「天与のもの」、与えられるもの。人間が、無いものをつくり出すのではない。 ここから「物は私すべからざるもの」、「自分勝手にしてはならぬもの」という倫理が生まれてくる。 昔から「…
敬の心 敬はおのれ(己)をじっと見つめることから始まる。自分がここに生きているのは、日々食物をたべ、衣服を着、家に住むことができるからである。さらに、この生命は父母にうけ、祖先にうけ、ずっとさかのぼれ…
耳の観景 わび茶の道は、味覚の世界だとばかり考えたら甚だ浅い。釜のにえ音に、夜雨を聞き、松籟(しょうえん)を聞き、露地に滴(したた)る打水の音、軒端の梢(こずえ)をわたる風の声、さては、静寂の極まりに…