25 卒業後の指導 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた

卒業後の指導として、一番根本的な指導は、何と言っても、有志の青年たちの読書会を設けることでしょう。というのも、もし読書会が真に正しく行われたならば、たとえその人が他に転任したとしても、それは会員相互の輪読会となって永く永続するのが常であります。
すなわちその人が在せずして、しかもその精神は永くその地にとどまって、それらの教え子たちを導くと言ってもよいのです。しかもそのようにして、育てられた青年達が、やがてその地方の中堅人物となる頃には、民風もようやく改まって来るのが常であります。
修身教授録
読書会というものに参加経験がありませんが、どのようなことをするのでしょうか。
雑誌の同じところを読み意見を交換するようなことはやったことがありますが、各自で読んだ本を自由に発表するよなものもあるように感じます。
しかし、どこか読書というのも趣味というものにとどまらない方がいいですね。
新たな本には新たな発見がありますからね。
発表するというのはいいことです。
森信三一日一語は
英知とは、その人の全知識、全体験が発火して、一瞬ひらめく不可視の閃光といってよい。
何事も自分で手にいれたものしかそのように発火にいたらないものです。
そこで読書ということになるわけですが、ちょっと読んだってなかなか発火に至るわけではなく、そこにはどこかつかみ取るというような意識があったほうがいいですね。
その本から何を掴み取るか。
集中していきたいものです。
本日の伝記です。
井上 準之助
(いのうえ じゅんのすけ) 金解禁を断行、凶弾に死す 【井上準之助は、権力におもねることもせず、大衆に迎合することもない、信念の人だった。そのぶれない信念を貫くがゆえに、時には上司とぶつかり、左遷の憂き目にもあった。しかし日本の危機にあっては、彼のその信念が必要とされ、日本経済の舵取りを託されていくのである】
なんとか軍の暴走を止めようと死を恐れずに立ち向かった人だったんですね。
斎藤 隆夫 (さいとう たかお)
議会史の花と言われた粛軍演説 【斎藤隆夫の留学は惨憺たるものだった。二年間のうち、約一年間は闘病生活に終わったのである。しかし、彼は闘いの人であった。病魔と闘いながら、言論の闘いを続けたのである。それは日本人の誇りを守ろうとする闘いであった。留学時代、すでに正論政治家の片鱗を見せていた】
戦前の日本で軍に対してものおじしないでものを言うということは、死ととなり合わせだったんでしょうね。
こういう人がいても軍の暴走が止まらなかったということなんでしょう。
日清、日露の勝利がそう言ったことになったんでしょうかね。
吉田 茂 (よしだ しげる)
日本復興のリーダー 【外交官であった吉田茂は、国際的な視野から日本の現状を眺める眼を持っていた。その鋭利な国際感覚と合理主義的感性にとって、軍部の独走は耐え難いものであった。彼は信念を持って、英米との戦争回避に奔走し、警鐘を鳴らし続けた。その時得たアメリカの友人との信頼関係が、戦後日本の出発点となった】
世界を見て、日本の向かう方向に警鐘をならしても止められないものがあるんですね。
米英を世界の本流とする考えが今の日本を作っているのでしょうか。
日本は経験済みということですね。
広田 弘毅 (ひろた こうき)
自己弁護を拒んだ総理大臣 【国際協調、平和外交を旨とする広田弘毅は、一外交官で人生を終えたいと考えていた。しかし、日本を戦争に引きずり込もうとする軍部の画策に直面し、日本の政治は広田を必要とした。外相として、首相として、広田の努力の大半は、軍部の横暴を阻止するために費やされた】
望んで引き受けたことではなくても、時代の流れで引き受けなくてはならないものがあり、責任を受け止めるというのは普通の人のできることではないような気がします。この時代のことを学ぶ必要がありますね。平和な時代に生きているのはとてもありがたいことですね。
本日はここまでです。
ありがとうございます。

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