所謂不考なるもの五|6月16日のことです。
所謂不考なるもの五
世俗の所謂不考なるもの五。(離婁下三十章)
せぞくのいわゆるふこうなるものご。(りろうしもさんじゅうしょう)
【訳】
世間でいう親不幸には、五通りある。
〇松陰は、「健康な肉体を持ちながら、怠けて親孝行をしないのが第一の不孝。博打をうち、酒ばかり飲んで親孝行しないのが第二の不孝。欲深く貯蓄ばかりに関心をもち、自分の妻子はかわいがるが親孝行しないのが第三の不幸。見たい、聞きたいという自分の欲望に現を抜かし、父母にまで恥をかかせることが第四の不孝。血気の勇にはやり、口論・喧嘩ばかりして父母にまで危害を及ぼすことが第五の不孝である。これら孟子の教えは簡潔で、一般の人々には切実な問題である。これを教え諭せば、風俗を淳化する上で効果がある。人々を教化しようと志す者は心するべきである」と記している。
6月16日、孟子一日一言です。
親孝行というのはずっと昔から続く基本的なことですね。
なぜ、この世に生まれたかを考えた時には親の存在なくしてはなりたたないなからなのでしょうね。
しかし、動物の性ということをみた時には必然とも思えるわけです。
子供を虐待する親や生んでからすぐに捨てられる子供とうようなことを考えた時、子どもには何の罪もないとも思えます。
こういうことに考えを巡らせていること事態が親不孝なのかもしれません。
孟子や松陰先生の言われるように五つことを実行しようと素直に思えないことが親不孝ですね。
人はそれぞれ生まれてくる環境も違うし、育つ環境も違います。
自分で選んできているわけではないですがどんな状況であっても人のせい世の中のせいにしていては生きる人生が楽しくないものになりそうです。
親孝行できるように心の勉強を怠らないでいようと思いました。
今日も一日がんばります。