朋友の道|6月17日のことです。
Release: 2018/06/17 Update: 2018/06/17
朋友の道
善を責むるは朋友の道なり。父子善を責むるは恩を賊ふの大なるものなり。(離婁下三十章)
【訳】
善を責め合うのは、朋友の間の道である。親子で善を責めるのは、もっとも親子恩愛の情をそこなうものであるから、よくないことである。
6月17日の孟子一言です。
親子でいいとか悪いとかを話すなということでしょうか。
たしかにそうかもしれません。
親子で間違いを探し合い指摘したところで意味もありません。
生涯親子なんですから。
親だから正しくあってほしいと思いますがそう簡単ではありませんね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
性を知れば則ち天を知る 其の心を尽す者は其の性を知るなり。其の性を知れば則ち天を知る。(尽心上首章) そのこころをつくすものはそのせいをしるなる。そのせいをしればすなわちてんをしる。(じんしんかみしゅ…
責なきのみ 責なきのみ(離婁上二十二章) 【訳】 (自分の言葉に)責任を感じないからである。 〇松陰は、「人々が気楽に言葉を口にするのは、それを自分の責任とするという覚悟がないからである。その実行を責…
君、仁なれば 君、仁なれば(民)仁ならざるはなく、君、義なれば義ならざるはなし。(離婁下第五章) きみ、じんなれば(たみ)じんならざるはなく、きみ、ぎなればぎならざるはなし。(りろうしもだいごしょう)…
心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる。人を治めらるる者は人を食ひ、人を治むる者は人に食はる。天下の通義なり。(滕文公上四章) こころをろうするものはひとをおさめ、ちからをろうするものはひ…
夫れ道は一のみ。(滕文公上首章) それみちはいつのみ。(とうぶんこうじょうしゅしょう) 【訳】 そもそも道というものは一つである(堯や舜のような聖人の道も我々凡人のそれも一つである。善なる本性のままに…