まことの芸術|6月19日のことです。
Release: 2018/06/19 Update: 2018/06/19
まことの芸術
苦難のないところに、ほんとうの芸術は生まれない。
名優のおどりを見、大家の名画を見ると、神技自在、何のこだわりもなく、すこしの苦しみも見えないが、これこそ全く一生かけて苦しみぬいた汗の賜物である。
そしてこれらの芸術が苦労の中から生まれたという、それだけのものではない。「苦難そのものが無限の美である」と徹した境地に、まことの芸術が生まれ出るのである。
6月19日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
自分が生きている間に評価されない芸術家などはその通りだと思います。
苦労して苦労しても認めらず苦しみぬいてもその道を極める。
それは苦難そのものが美なんでしょうね。
生きていくこと苦難の連続。
乗りこえても乗り越えても次のがあるんです。
あえてその道を歩む人こそ後世に評価されるのかもしれません。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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