大宇宙の中心|1月3日のことです。
Release: 2018/01/03 Update: 2019/01/12
常に吸うてやまぬ空気、受けてまねからぬなき日光、仰いでくまもなき大空、讃嘆して及ぶことなき星・・・。
一つとして我がものでないもはない。
かくして、物質に対する無限の愛は拡充して天地の愛にひろがり、人に対するおやみなき敬はひろく深く至って、ついに神に仏に、永遠無辺の大宇宙の本体に到達する。
宇宙すでに我である。
悠久の古より永遠に未来につづきに続いて限りなきこの時間の中に、四方八方、前後無限に存在する大宇宙の中心こそ、粟粒に譬うべき己自身である。
丸山敏雄一日一話 幸せになるための366話
1月3日の言葉です。
とても難しい言葉です。
宇宙はすでに我である。
自分の心の中の広さのことを言うのでしょうか。
心の中は無限に広がる宇宙のようなものだとは思います。
人間の心はどんだけ詰め込んでも埋まることのない大宇宙のようなものでね。
大きな心で日々過ごせと勝手に解釈することにします。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
信とは 「信」とはこの天地人生の真実を、一々中身のせんぎ立てをしないで丸受け取りに受け取ることです。すなわちまた、この天地人生の実相をつかんだ人の言葉を、素直に受け入れるということです。【271】 #…
未だ嘗て才あらずと為すもの 以て未だ嘗て才あらずと為すもの。(告子上八章) もっていまだかつてさいあらずとなすもの。(こくしかみはっしょう) 【訳】 (ある人が鳥や獣に近い生き方をしているのをみて)あ…
朋友の道 善を責むるは朋友の道なり。父子善を責むるは恩を賊ふの大なるものなり。(離婁下三十章) 【訳】 善を責め合うのは、朋友の間の道である。親子で善を責めるのは、もっとも親子恩愛の情をそこなうもので…
敬について 敬とはどういうことかと申しますと、それは自分を空しうして、相手のすべてを受け入れようとする態度とも言えましょう。ところが相手のすべてを受け入れるとは、これを積極的に申せば、相手のすべてを吸…
道義の枢軸は家庭 道義の出発は個に立つが、その「場」は家庭である。上に向かっての「敬」の徳は、子が親を敬するに始まり、下に向かっての「慈」は、親が子にそそぐ情から始まる。そして限りなく上に、または下に…