其の心を存し、其の性を養ふ|10月4日のことです。
其の心を存し、其の性を養ふ
其の心を存し、其の性を養ふは、天に事ふる所以なり。(尽心上首章)
そのこころをそんし、そのせいをやしなうは、てんにつかうるゆえんなり。(じんしんかみくびしょう)
【訳】
自分の本心(である四端の心)を大切にもち続け、その本性を養い育てていくことが、天の意志にかなったことであり、天に仕えることになるのである。
〇松陰は、「『心を尽くす』というのは、最上の段階のことである。それは、堯、舜、周公・孔子のレベルであり、一般の人は容易に到達しがたいものである。その前の段階が『心を存す』である。これは、心を日夜大切に胸に抱いていることであり、これができれば、やがて『心を尽くす』という境地に至る。『性を養ふ』とは、我が本性を吾が子を養うように育て行くことで、ついには、『性を知る』という境地に至るのである。また、『天に事ふ』というのは、理に事えることである。『事ふ」は、君父に事えるという時の『事ふ』と同じ意味である。道理に違反しないように心がけることである。これが十分に熟すと、『天を知る』という境地至るのである」と記している。
10月4日、孟子一日一言の言葉です。
人はやはり常に善であるということが前提ですね。
心を存す(そんす)段階が一般の人。
何というような疑問を真剣に考えるようなことも心を存すということになるのでしょうか。
何のためにと常に考えることは大事なことかもしれません。
自分の本性が善であるならばしっかりと自分に向き合い道理にしたがい正しきことを実践することが天を知ることになるのでしょうね。
バランス、中庸。
今日も一日がんばります。