敬の心|11月30日のことです。
Release: 2018/11/30 Update: 2018/11/30
敬の心
敬はおのれ(己)をじっと見つめることから始まる。自分がここに生きているのは、日々食物をたべ、衣服を着、家に住むことができるからである。さらに、この生命は父母にうけ、祖先にうけ、ずっとさかのぼれば大宇宙生命をうけて、大自然の中にいき(呼吸)ている・・・と気づけば、その恩寵にひれ伏す心になる。
人の恵みと自然現象の一つ一つ、一つとして敬の対象でないものはない。かくて山に対し、海に向い、大空を仰いで、敬の至情にひたっていると、ついに心は浄く聖なる天地に澄みわたって来る。
11月30日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
敬というのは感謝ということになりますね。
すべてのもの対してこの心を常に抱いていればいいのですが、すぐに忘れますね。
今、自分がここにあるのはすべてのものが揃っているからだということを忘れないようにしなければなりませんね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
物は生きている 物は生きている。着物も、道具も、機械も、金銭も皆生きている。 大切につかえば、その持ち主のために喜んで働き、粗末にあつかえば、すねて持主に反抗するだけでなく、時には腹立てて食ってかかる…
空所をもつ 恩師は私に「空所をもて」と教えてくれた。空所というのは、一家のだれも住んでいない部屋(神仏の間とか)があるように、一日に一度、職業と関係のない時間をもてといったことである。空なところとは、…
弟子の心得 聖人たちは、当時の大衆によって、直ちに”人類の教師”としての偉大さを見出され崇敬を集めてのではなかった。 どうしたいきさつで、偉大さをたたえられるに至ったのであろうか。 それは何人かの選ば…
習うとは 努力とは、杭を打つようなものである。 同じ力で、同じま(間)でトン、トン、トンと打っていると、どんな土地にでも、どんな棒でも、ずっしりと土に食い入って、こんりざい動かなくなる。 まっすぐに、…
希望に満ちた人生 耳にあるものは聞け、目にある者は見よ。偉大なる舞台を、天然のバックを、日月星の照明を、花鳥の彩色を、風浪の奏楽を、その主役の妙技を、助演者の活芸を・・・。 何という神の演劇、いったい…