堯の時に当りて②|1月20日のことです。
堯の時に当りて②
舜、(中略)禹、九河を疏し、済・漯(の水)を瀹してこれを海の注ぎ、汝・漢を決し、淮・泗を排して之れを江に注ぐ。然る後に中国得て食ふべきなり。(滕文公上四章)
しゅん、(中略)う、じゅうがをそし、せい・とう(のみず)をやくしてこれをうみにそそぎ、じょ・かんをけっし、わい・しをはいしてこれをこうにそそぐ。しかるのちちゅうごくえてくらうべきなり。(とうのぶんこうかみよんしょう)
【訳】
すると舜は、(中略)(禹に命じて治水事業を推進させた)禹は黄河下流の九つの大河の流れを改良し、済水・漯水の川底をさらって海に流し込むようにし、汝水・漢水の水路を開き、また、淮水・泗水をさらってその水を揚子江へうまく流し込んだ。このようにして、(洪水の心配がなくなり)中国の地は安心して生活ができるようになった。
1月20日、孟子一日一言の言葉です。
堯、舜、禹という人物によって治水を行い河の氾濫を治めたんですね。
恐らく今の時代の人にはピンとこないことかもしれませんが想像を絶する大事業なのでしょうね。
人の力だけで河の流れをを変えたりすのは凄いことです。
たくさんの人の力も必要だったでしょう。
徳のある人物だから成し遂げらたということなのでしょうか。
強制的に働かされた人もいたのではないかとちょっと思っていまいます。
今日も一日がんばります。