玉のごとき心で|11月29日
Release: 2019/11/29 Update: 2019/11/29
玉のごとき心で
家庭に暗影をなげるものは、不平等であり、わがままであり、怒りである。これらがつのってくると、争いとなる。
争いは、自分一人を中心としてものごとを考えることから出発する。人をさげすみ、人を容れず、己一人を高しとする。
このような心の洗い去った、明るい、純一の心、これを持ち続け、養い高めていく。ついに、れいろう玉のごとき心境に到達する。そして、その家庭を理想の境に高めてゆく。
ここに豊かな文化が育ち、うるわしい文化人がはぐくまれる。
11月29日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
おはようございます。
本日はその言葉に尽きるのでしょうか。
自分一人が中心ではない。
たしかにその通りだと感じます。
頭で考えることを変えていかなければいけません。
攻められると人は防衛的に責任を転換したくなります。
自分がそうなっていないか常に問う必要がありますね。
それでもなる。それを抑える。
この苦しさが学ぶということなのでしょうか。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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