後半生を何に捧げるか
Release: 2022/04/15 Update: 2022/04/15
後半生を何に捧げるか
人間は自分の後半生を、どこに向って捧ぐべきかという問題を、改めて深く考え直さねばならぬ。その意味において私は、もう一度深く先人の足跡に顧みて、その偉大な魂の前に首を垂れなければならぬ、と考えるようになった。【362】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
後半生になっていると実感はあるものの、今だまだまだ自分の一日をコントロールも出来ていない気が致します。
白髪が増え、生活習慣病なども医者に注意される有様ではどうにもならないわけですが自分の体に関しても気をつかっていかねばならぬとは実感するところですね。
さて、読書ということでさらには伝記を読めと教授はいうわけですが偉人の死にざまというものに着目していくことが必要な気がしますね。
どのように死ぬか。
自分が考える嫌な死に方は考えないうちにというのが嫌な気がします。
常に考えながら死にたい。
後悔でも感謝でもそういう頭が動く状態がいいと思うのです。
そのためにはいろいろと気を使わなければならないと実感します。
頭が元気でなければいけない。何を食べるか、どう運動するかも重要な気がします。
しっかりと考えて行動します。
関連コンテンツ
苦しみのものとは「我」 同じく人生でありながら、一方はこれを妙味津々として見る人もあるかと思えば、他方には、これを苦しみの連続と見る人もあるのは何故でしょうか。これはマァ色々と考え方もありましょうが、…
人はそれぞれに年代に応じて真剣な生き方をして参りますと、七十歳代、八十歳代は、まことに自由闊達な境涯に恵まれて、真の生き甲斐ある人生が送れるのではないかと思われます。人生の見通しを立てるとともに、いま…
真実はいつか輝き出す 世の中ほど正直なものはないでしょう。ほんとうの真実というものは、必ずいつか輝き出すものだと思うのです。ただそれがいつ現れ出すか、三年、五年、にして現れるか、それとも十年、二十年た…
下座を行ずる① 下座行とは、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」言われる以上、いわゆる落伍者とい…
道元禅師は「某は座禅を三十年余りしたにすぎない」というておられますが、これは考えてみれば、実に大した言葉だと思うのです。本当に人生を生き抜くこと三十年に及ぶということは、人間として実に大したことと言っ…