優れた師①叱らずして悦服(えっぷく)させる
Release: 2022/09/03 Update: 2022/09/03
優れた師①叱らずして悦服(えっぷく)させる
本当に偉い方というものは、そうみだりに声を荒げたて、生徒や門弟を叱られるものではないのです。第一にその必要がなかろうと思うのです。
大声で生徒を叱らねばならぬということは、それ自身、その人の貫禄の足りない何よりの証拠です。つまりその先生が、真に偉大な人格であったならば、何ら叱らずとも門弟たちは心から悦服するはずであります。【139】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
偉大な人格に俺はなる。海賊王に俺はなる。発明王に俺はなる。
なんでも俺はなるという気持ちも大事なような気がします。
わかりやすくわかりにくい偉大な人格。
教授のいう偉大な人格とは自己反省が出来る人ということでしょうか。
自分のいたらなさを感じなければ、到底良い人格にならないような気がします。
気づくとはそういう部分のことのような気がします。
吉田松陰先生のやさしさを感じずにはいられませんね。
自分はどこかそういう面がまだまだ足りていない気がしますs。
関連コンテンツ
齢を尊ぶ 松陰先生は、人間にして爵の尊さを知って得の尊さを知らないものは、その愚かなことはいうまでもないが、しかし徳の尊さを知って齢の尊ぶべきを知らないものは、未だ真の人物とは言いがたいということを、…
真の良書 真の良書というものは、これを読むものに対して、その人の人生行路を決定していく意義を持つ。【241】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新 自分の人生を…
気付きが支柱になる 人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱となるのです。単に受身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もありません。【134】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投…
自分の「顔」を仕上げる われわれの一生は、ある意味からは、自分という一人の人間の、いわば面作りのようなもので、われわれは一生かかって、この自分の「顔」という唯一つの面を、仕上げるようなものとも言えまし…
天命を受け入れる② われわれも、ここにこうして一年間を共に学ぶことになったことは、天の命として謹んでこれをお受けし、ひとり好悪を言わないのみか、これこそ真に自己を生かすゆえんとして、その最善を尽くすべ…