雑念を去れば|3月22日のことです。
Release: 2018/03/22 Update: 2018/03/22
家庭の不和も、事業の失敗も、時にふりかかる不時の災難も、一つとして、心のあやまり、生活不自然さを教える危険信号、そのまま幸福の門でないものはない。
人は本来、雑念を去り生活を自然にもどせば、自然と同じリズムに乗って(大自然と調子がそろって)、宇宙の本体といき(呼吸)が通い、少しもとらわれた私心がないので、いちいち苦難の意義が、出あった一瞬さっとわかる。
自然に住む動物は、皆こうした能力をもっている。
丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)3月22日の言葉です。
人間も本来はこの能力をもっているんでしょうがね。
しかし、禽獣との違いがありますからそれもまた良しですね。
大昔からこのことを考えていても結果あやまちの繰り返しを人間は繰り返します。
しかし、気づいてしまったのですから少しづつ修正するしかありませんね。
いろいろな心のあやまりにいちいち気づくことが大切です。
忘れてはいけませんね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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