真の一道
Release: 2023/01/13 Update: 2023/01/13
真の一道
真の一道が開かれるのは、かくして起ち上がった自己の内なる醜い我見をえぐり出して、かくして浄められた自己の全心身を、己がつとめに対して、投げ込み捧げ切るところ、そこに初めて開かれてくるのであります。【253】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
自分の務めというものはなんなのでしょうか。
そういうことをなかなか考えもしないわけですが、こういう言葉から考えてみるというにも大事なことだと思います。
仕事が努めであるのは当然なのですが究極忙しいというようなことを経験しなければなりませんね。
実際、寝ないでやればいいなどと考えたりその瞬間は考えるわけですが、そんなことにもならない訳です。
醜い我見ということがよくわかります。
自分を見つめては反省しないとなりませんね。
関連コンテンツ
楽天知命 いやしくもわが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、最善なはずだ。 それ故われわれは、それに対して一切を拒まず、一切を受け入れて、そこに隠されている神の意志…
私は、人生の真の出発点は、志を立てることによって始まると考えるものです。古来、真の学問は、立志をもってその根本とすと言われているのも、まったくこの故でしょう。人間はいかに生きるべきか、人生をいかに生…
学問の根本眼目 私は、人生の真の出発は、志を立てることによって始まると考えるものです。 古来、真の学問は、立志をもってその根本とすと言われるのも、まったくのこの故でしょう。 人間はいかに生きるべきであ…
世には、十年一筋の一道を歩む人は少ない。ましてや二十年、三十年、一筋の道を歩き通す人は稀である。恐らく百人中、二、三人しかあるまい。いわんや、五十年一道を歩むに至っては、千人中二、三人が危うかろう。し…
あなた方くらいの年配にもなれば、単に受身的にご両親の言いつけに従うというのみでなく、一歩をすすめて、言いつけられない事柄についても、自ら進んでするようであって欲しいと思うのです。一例を申せば、家の戸…